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陰翳礼讃という言葉が最も似合う奥能登珠洲にある宿。日本古来の美が心の琴線に触れる。いたらないつくせない宿の美学

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奥能登の珠洲にある知る人ぞ知る民宿。この宿は、心の琴線に触れた人は必ずリピーターになり、逆にラグジュアリーなホテルのなんでも揃ったサービスが好きな方にはあまり好かれないのかもしれません。ここには過剰なサービスはなく、例えば、アメニティーは充実しておらず(歯ブラシも持参)、御手洗は共同で部屋にテレビもなし。夏、冷房はなくて、冬は囲炉裏と薪ストーブはありますが、寒すぎるため1月2月は休業しています。HPにも「いたらない、つくせない宿なんです」と書かれています。でもそれは、また意味合いが違っていて、そこが心地よさに繋がっている部分があるのです。掃除もしっかり行き届いていて、何もかもがスッキリと整えられていて心が洗われるようです。

宿までは、細い道を抜け田畑を抜け「え?こんなところに本当にあるの?」と不安になる場所にあります。林を抜けたところがひろみになっており、宿はそこにポツンと。総括すると、まだ電灯がなかった時代の日本の美について書いた谷崎潤一郎氏の随筆である「陰翳礼讃」という言葉がぴったりな宿だと思います。

ちなみに私は奥能登出身でこんなような”なんにもない”ところで育っていますが、普段忙しくしていると”なんにもない”の良さに帰りたくなるもの。”自分探しの旅”という言葉は好きではないけれど、他の誰も干渉してこない静かな場所で一旦自分を見つめ直せる良い機会にもなります。

車を降りると何か物足りなさに襲われこれまた不安になるのですが、それはいつも当たり前のように聞こえてくる機械的な雑音や車などの生活音がない世界だからだろう。あたりは静寂しており、耳を澄まさずともササササという風の音、草木が揺れるサワサワ、ピーヨロ、ホーホケキョが多方向から聞こえてくるので、目を閉じて身を委ねたくなります。普段入りっぱなしになっているスイッチをオフにして、別の脳で過ごしているような感じになれます。

暖簾をくぐると広くて整えられた玄関になんだか凄みを感じます。「ごめんください。お世話になります」と声をかけると、出迎えがあって部屋の場所とお風呂と夕食の時間を教えてくれたけれど、それ以上はなく、良い意味で放っておいてくれる。外を散歩するのもいいし離れでくつろぐのもいい、部屋にずっとこもっているのも良い。
(※このような自然の中の環境なのでいたるところにカメムシがいます。苦手な方は、特に多く発生する季節は避けたほうが良いかもです。)

秋は囲炉裏には炭が組まれています。寒さに思わず手をかざす。

“離れ”で過ごすひととき。コーヒーを自分で淹れて。時間を忘れる。

お風呂は裏の竹やぶに向かって窓が開くようになっており、竹やぶの陰翳と風を感じながら湯につかれる。

お料理は本当に素朴。ザシンプルの中に計算された味の演出も隠れておりハッとなることもあり。そして「いたらない、つくせない宿」とうたってはいるものの、“サイレントサービス”に気がつきます。料理の提供も良いタイミングだし(料亭は調理場を見せないのが美学ですが、こちらも同じくそのような感じで裏のバタバタのようなものが見えてこない)。器ひとつひとつにも店主の思いがこもっています。