訪問日

2018

10/20

「片折」秋:能登松茸の神回(2度目の訪問)

(※写真不可な回だったので写真はありません。)

今回のメイン食材は能登松茸。

最初に通される待合からカウンターがちょっと見えるのですが、席前に鎮座する立派な松茸の山に一気にテンションが上がりました。気持ちがかき乱されてニヤけてくる。能登の松茸名人さんが採ってきた松茸で、思わず拝みたくなるような神々しさ。山になっている松茸の手前にはスッと伸びた白マツタケも一本。中も純白で眩しいくらいでした。

ちなみに今回は食材だけでなく、店主も突き抜けていて、本当に一線を画した素晴らしい回でした。(ただ、松茸は自然のものなので入手できない日もありますから、前日のお客さんには松茸は提供できなかったそうです。地物の良いものにこだわっているだけに、毎日納得するものを仕入れるというのは、相当な緊張感があるでしょうね。)

まず最初の一品は松茸のお粥から。提供されてすぐ食べてほしいとのことで、後の方を待たずに頂きます。薄くスライスした松茸を軽ぅく火入れしお粥に合わせて。塩は引くに引いて、五感をすり抜けそうな淡さ。そこから時間差で立ち上がってくる、優しい甘さに胃袋を撫でられてスタートとなりました。
お次は黄金蟹の真薯のお吸い物が登場。かと思いきや、こちらもつなぎは引くに引いてほぼ黄金蟹を寄せたもの。お吸い物は例によって鰹節を削るところからやってくれる命の出汁で。このベースの昆布出汁のたおやかさに、黄金蟹の絹のようなとろんと滑らかな舌触りが合わさってそのまま喉へ滑っていく。

お造りはキジハタ(ナメラ)にアオリイカ。もちもちとしたキジハタの美味しいこと。けんは大根ではなく、生のマツタケを1寸の針にしたもの。
そして、“何か”がふんわりと包まれた大きなアルミホイルが人数分登場し、目の前の七輪にのる。しばらくして火から外されて登場したのはこちらも松茸。松茸はそのまま炭火焼きにするとたしかに香ばしく美味しいが旨味が落ちる。こうやって“ジュ”まで味わい尽くすとなるとホイル焼きが一番だ。シャクシャクとして歯ごたえも美味。

松茸づくしの流れにここで牛が登場。能登牛ではなく、店主の故郷の氷見牛で、湧き水と酵母を加えた飼料で育てられているそうで、こんなピュアな味わいの牛は今まで食べたことがないってくらいピュアで驚き。シルクの舌触り。

干ぜんまいと湯涌の胡桃の白和えは、ほのあたたかい胡桃の口当たりの心地よいこと。優しく寄り添う野趣がまた良い味となる。なんとなく懐かしさも湧き上がる、思い出まで味付けにした一品。すっぽんのスープはすっぽんの存在はないのに、すっぽんが堂々と存在感を表した豊かな美味しさ。揚げ物は、カマスの天ぷらに天然ナメコのあんがけ。さらに松茸を散らして。
お食事は氷見のコシヒカリ。自家製イクラをのせて。膜の柔らかさも絶妙で皆おかわり。誰かが言い出した「これが究極のたまごかけご飯だねぇ」という一言に「なんて贅沢な」と笑いがこらえきれない。
また、最後の棒茶も目の前で煎ってくれましたが、こういう演出いいですね。和の香りって、やはり日本人としてのDNAがそわそわします。菓子は本物のわらびもち。最初から最後まで本物で通してくれるのはやはりここの価値。八尾のきなこがけにしたものを目の前のまな板で切って。もちもちとかみずみずしいとか、そういうのはなんかもう野暮な表現で、自分の細胞にスッと寄り添ってくれそうなデリケートさ、奥深い妙味に感謝すら覚えます。

素材の骨格を出すには塩が必要だが、ギリギリまで引いたところに見えてくる景色もあることを教えてもらった。
片折さんはこのまま「どこまでいっちゃうんだろう」と期待させてくれる、予感させてくれるからだろう、既に何度も通っている人が結構いる。

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